俳優の大竹しのぶさんの前夫である服部晴治(はっとりせいじ)さんとはどのような人なのでしょうか?
夫婦の馴れ初めや、当時略奪婚と騒がれた中村晃子さんとの関係、服部晴治さんの病名など深堀りしていきます。
服部晴治wiki経歴・プロフィール
引用:大竹しのぶInstagram
名前:服部晴治(はっとりせいじ)
死亡日:1987年(享年47歳)
職業:TBSプロデューサー・ディレクター
家族:離婚歴2回(前妻との間に子供3人)
大竹しのぶ、長男・二千翔(にちか)
服部晴治さんは、TBSの敏腕プロデューサーとして知られ、
イケメンで女性に大変モテたという情報があります。
2回の離婚を経て、大竹しのぶさんと結婚しました。
服部晴治と大竹しのぶの馴れ初めは?
TBSドラマ「恋人たち」に出演していた大竹しのぶさんと、同ドラマのディレクターだった服部晴治さんが出会い、急接近したそうです。
出会った当時、大竹しのぶさんが23歳、服部晴治さんが40歳と歳の差がありましたが、
当時の大竹しのぶさんは、
- 芸能界の忙しさ
- 若くして注目されるプレッシャー
を強く感じていた時期。
そんな中で17歳年上の服部さんの包容力や仕事ぶりに惹かれたのかもしれませんね。
大竹しのぶが中村晃子から略奪婚!?
当時、服部晴治さんは歌手の中村晃子さんと同棲し、事実婚状態だったようです。
大竹しのぶさんと交際が始まり、中村晃子さんとの関係を解消して結婚したことが報じられると、大竹しのぶさんに対して「略奪愛」「泥棒猫」など、激しい批判の声が浴びせられました。

今の穏やかで天然な大竹しのぶさんしか知らない世代は驚きですね
周囲の反対を押し切り、服部晴治さんと大竹しのぶさんは1982年に結婚しました。
息子・二千翔(にちか)の誕生
引用:大竹しのぶInstagram
1985年に夫婦の間に長男・二千翔(にちか)さんが誕生しました。
しかし長男を授かってすぐに、服部晴治さんに病気が見つかります。
服部晴治の死因は末期の胃がん
服部晴治さんは1987年に47歳の若さで亡くなりました。
病名は「末期の胃がん」で、病気が判明したときには「余命1年」が宣告されたそうです。
息子の二千翔さんが2歳の頃に他界してしまいました。
大竹しのぶさんは夫の死後、シングルマザーとして子育てに奮闘。
そんな憔悴したしのぶさんを支えたのが、ドラマで共演した明石家さんまさんだったそうです。
服部晴治が明石家さんまに宛てた手紙の内容は?
服部晴治さんは、後に大竹しのぶさんの夫となる明石家さんまさんとテニスをするなど交流があったそうです。
服部晴治さんは亡くなる2ヶ月前に、
しのぶのことをどうぞよろしく
と明石家さんまさんに手紙を書いていたのだとか。
さんまさんが「この手紙を鵜呑みにした」という笑いのエピソードを披露したことがあります。
遺されるしのぶさんを心配した服部晴治さんの優しい一面なのかもしれませんね。
まとめ
大竹しのぶさんの前夫の服部晴治さんについてまとめました。
服部晴治さんは2回の離婚を経て、仕事現場で知り合った大竹しのぶさんと結婚。
当時中村晃子さんと婚約中だったことから、「略奪婚」などと批判を受けたそうです。
結婚してわずか5年後に、胃がんが原因で47歳の若さで亡くなっています。
先が短いと悟った服部さんが、大竹しのぶさんを心配して書いた手紙が、明石家さんまさんとの再婚を後押ししたようです。






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