岩手県北上市にある瀬見温泉の旅館で 熊に襲われ亡くなった従業員が、
過去にレフェリーを勤めていた笹崎勝巳(ささざきかつみ)さんであると報道されました。
プロレスファンの間では名が知れた存在で、
このような形での最期は、関係者・ファンの間で大きな悲しみを呼んでいます。
笹崎勝巳さんとはどんな人だったのでしょう?
プロフィールや経歴、また妻や子供など家族がいたのか、なぜ旅館で働いていたのかも調査しました。
笹崎勝巳(勝己)のwikiプロフィール・経歴
引用:Yahooニュース
名前:笹崎勝巳(ささざきかつみ)
別表記:笹崎勝己表記も存在する
生年月日:1965年2月12日
年齢:60歳
身長:172cm
体重:98kg
出身地:東京都板橋区
所属:ZERO1、全日本プロレス審判部
| 年代 / 年 | 活動・出来事 | 補足・備考 |
|---|---|---|
| 1989年 | 全日本女子プロレスに入社し、レフェリーデビュー | 全女(全日本女子プロレス)は、女子プロレス界を代表する団体の一つでした。 |
| 全日本女子プロレス時代 | 「ハリセン太郎」というリングネーム使用/ミゼットプロレスの試合裁定も担当 | 多彩なスタイル・団体での対応経験を蓄積したと評価されることが多い |
| 各団体でのレフェリー業務 | ZERO1、NWA-PPF、スターダムなど複数団体で試合裁定を担当 | 特に技の誤爆が絵になるレフェリーとして、ファン・関係者の間でエピソードとして語られることがあった |
| 2011年 | NWA インターナショナルライトタッグ選手権のレフェリー担当を希望する上申書を提出 | 王者チームとレフェリーの関与に関する疑義を記した内容が含まれていたとされる |
| 2015年 | ZERO1 を運営する (株)ファーストオンステージの副社長に就任 | 運営・経営にも関わる立場となる |
| 2018年 | ドリームオンステージ代表取締役社長に就任 | 経営とレフェリー両立の体制を取る |
| 最近 | 栃木プロレス、マリーゴールド、ZERO1 など複数団体でレフェリー業務を継続していた | 2025年時点でもリングに立つ姿が報じられていた |
笹崎さんは若い頃からレフェリーを志し、プロレス業界を長年支えてきた存在だったそうです。
2018年からは2020年頃までは、ZERO1運営の株式会社ドリームオンステージの代表取締役社長を務めるなど、経営面でもプロレス業界の発展に貢献してきました。
「仕事熱心」「静かながら真面目」「優しく穏やかな人」など、
評判の良い人柄だったようです。
笹崎勝巳(勝己)結婚して妻(嫁)子供がいる?

笹崎勝巳さんが結婚していたのかや、妻や子供の存在については公表されていないようです。
女子プロレス団体・マリーゴールドのロッシー小川代表が、笹崎さんの訃報に言及しました。
岩手県北上市の温泉施設で熊に襲われ行方不明だった笹崎勝巳の遺体が発見されたという痛ましいニュースが入ってきた。笹崎の最後のレフェリーはマリーゴールドのリングだった。全女の後輩であり寡黙だが仕事熱心であり、まだ幼い女の子が二人いる。何の言葉も交わすことなく別れとなってしまった
引用:ロッシー小川氏のXより
幼い娘が2人いるとう情報がありますが、正確な情報かは不明です。
事実であれば、妻は笹崎さんより年下の女性が推測できます。
仕事熱心な方なので、プライベートについては公表しないスタンスだったのかもしれませんね。
なぜ岩手の温泉旅館で働いてた?

東京出身の笹崎勝巳さんが、なぜ岩手の山奥の旅館で働いていたのか気になりますね。
24年5月にはマリーゴールド旗揚げに参加し、以降メインレフェリーとして試合を裁いた。25年2月末で団体を卒業し、3月に北上市に移住。瀬美温泉で従業員となっていた。
引用:https://news.livedoor.com/article/detail/29799199/?utm_source=chatgpt.com
との情報がありました。
今年に入ってから何らかの理由で岩手県北上市に移住した可能性があります。
生活の基盤としての収入確保のため
プロレス業界・レフェリー業務だけでは安定した収入を確保するのが難しくなることがあります。特に、団体を卒業した後やリングに立つ機会が減った後などでは、新しい仕事を探す必要があるケースがあります。
地域移住・生活スタイルの変化
岩手県北上市へ移住したという報道があることから、都市部から地方へ生活拠点を移し、静かな環境で暮らしたい、あるいは生活コストを抑えたいといった判断をした可能性があります。従業員として旅館で働くことは、地域に根ざした生活を選ぶ一つの手段かもしれません。
年齢・体力の変化
年齢が60歳ということもあり、プロレス関係の激しいペースではなく、比較的身体への負担が少ない仕事を選ぶことを考えた可能性があります。旅館での清掃・設備管理などは体力を使う面もありますが、リングでレフェリーをする時ほどの激しさはないという見方もできます。
人間関係・地縁によるもの
北上市での知り合いやつながりがあって、そこから仕事を紹介された・誘われたという可能性もあります。あるいは、旅館という形で地域コミュニティに関わりたいという意志があったのかもしれません。
などの理由が考えられます。
60歳という年齢もあり、地方でゆっくり老後を過ごしたいという思いもあったかもしれません。
まさか温泉の清掃中に熊に襲われるとは、本人も世間も想像できなかったことだと思います。
まとめ
笹崎勝巳さんのプロフィールや経歴、家族について調査しました。
寡黙だけど仕事熱心であった笹崎勝巳さんは、プロレスファンから愛される存在であったことが分かりました。
家族については公表されていませんが、一部で幼い娘が2人いるとの情報がありました。
岩手県に移住して、老後をゆっくり過ごそうとしていたのかもしれませんね。
笹崎勝巳さんの御冥福をお祈りいたします。




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