【特定】横山裕が就職した建設会社はどこ?15歳で肉体労働の苦労人

※本ブログでは広告情報を含む記事があります。

トレンド
スポンサーリンク

2025年の『24時間テレビチャリティーマラソン』のランナーを務めた

SUPER EIGHTの横山裕さん。

横山裕さんは幼い頃に両親の離婚や再婚、

母親の闘病で弟が児童養護施設に入らざるを得なかったエピソードなど、

壮絶な生い立ちに注目が集まりました。

デビュー前に建設会社に就職していたとのことで、

どこの会社なのかや、その頃のエピソードなどについて調査しました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

横山裕の壮絶な生い立ちとは?

3歳 両親が離婚 
5歳母親が再婚 
15歳建設会社に就職
ジャニーズ事務所入所
21歳関ジャニ∞結成
23歳関ジャニ∞でデビュー
29歳母親が逝去

横山裕さんは3歳の頃に両親が離婚し、5歳で母親が再婚をします。

その後父親が違う弟(6歳下と8歳下)が2人生まれました。

その時の義父とはあまり関係が良くなく、

家計の負担も考えて中学校卒業後はすぐに就職したそうです。

その後母親が2度目の離婚、さらに癌が見つかり、

まだ10代だった横山裕さんに「自分が頑張って働かなければ」という

重圧がのしかかりました。

しかし横山裕さんだけで家計を支えるのは難しく、

幼い弟2人は児童養護施設で暮らすことになります。

横山裕さんはがむしゃらに働き、弟達の生活費や大学の費用など工面しました。

そんな父親代わりの頼もしい兄に弟たちは感謝していて、

今でも仲の良い兄弟関係を築いているようです。

横山裕さんがそんな壮絶な生い立ちだったとは驚きです。

スポンサーリンク

横山裕が就職したのは松村建設工業!

横山裕さんは家計の負担を減らすため、中学卒業後はすぐに建設会社に就職しました。

その建設会社は、『松村建設工業』と言われています。

「SUPER EIGHT」横山裕が、MBSテレビ「ごぶごぶ」に出演。過去の職場を紹介する一幕があった。

横山は突然「そこに商店街があるんですけど」と紹介しながら、その横にある建設会社を指さし「そこに勤めていたんです」と告白した。

引用:スポニチ

横山裕さんの出身地である大阪・此花区を散策する番組内で、

此花区にある「松村建設工業」で働いた経験を明かしています。

メンバーの村上信五さんが過去に『大阪では結構ええトコですよ』と語っており、

横山裕さんが真面目に働いていた様子が感じ取れます。

松村建設工業でのエピソード

松村建設工業では1年ほど務めていたとのこと。

工事現場で壁を貼ったり、足場を組んだり、資材を運搬するなど、

肉体労働をしていたそうです。

「テレビ局までニッカポッカで行って、めっちゃ怒られたことあります。“あんた、夢売る仕事やねんから、その格好で来たらあかん”って」

引用:スポニチ

当時事務所のレッスンにも通っていたため作業服のまま向かい、

トイレで私服に着替えるなど、

普通の高校生とはまた違った苦労人のエピソードが多く存在します。

のちに芸能活動に集中するため、この会社を辞めることになりますが、

社長
社長

あかんようになったら、いつでも戻っておいでや

と優しい言葉をかけてもらったそうです!

横山裕さんが無事にデビューして活躍する姿に
社長さんも喜んでいるでしょうね!

スポンサーリンク

まとめ

横山裕さんが働いていた建設会社についてまとめました。

・中学卒業後に「松村建設工業」に就職
・仕事とジャニーズJr.を両立
・1年程で芸能活動に集中するため退職
・職場では良好な関係を築いていた

ということが分かりました。

幼い頃から複雑な家庭環境で苦労してきた横山裕さん。

愛情深い性格と、忍耐強い真面目な性格であることが分かりました。

今後の活躍にも期待しています!

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
トレンド
シェアする

コメント

タイトルとURLをコピーしました