2025年の『24時間テレビチャリティーマラソン』のランナーを務めた
SUPER EIGHTの横山裕さん。
横山裕さんは幼い頃に両親の離婚や再婚、
母親の闘病で弟が児童養護施設に入らざるを得なかったエピソードなど、
壮絶な生い立ちに注目が集まりました。
デビュー前に建設会社に就職していたとのことで、
どこの会社なのかや、その頃のエピソードなどについて調査しました。
横山裕の壮絶な生い立ちとは?
3歳 | 両親が離婚 |
5歳 | 母親が再婚 |
15歳 | 建設会社に就職 ジャニーズ事務所入所 |
21歳 | 関ジャニ∞結成 |
23歳 | 関ジャニ∞でデビュー |
29歳 | 母親が逝去 |
横山裕さんは3歳の頃に両親が離婚し、5歳で母親が再婚をします。
その後父親が違う弟(6歳下と8歳下)が2人生まれました。
その時の義父とはあまり関係が良くなく、
家計の負担も考えて中学校卒業後はすぐに就職したそうです。
その後母親が2度目の離婚、さらに癌が見つかり、
まだ10代だった横山裕さんに「自分が頑張って働かなければ」という
重圧がのしかかりました。
しかし横山裕さんだけで家計を支えるのは難しく、
幼い弟2人は児童養護施設で暮らすことになります。
横山裕さんはがむしゃらに働き、弟達の生活費や大学の費用など工面しました。
そんな父親代わりの頼もしい兄に弟たちは感謝していて、
今でも仲の良い兄弟関係を築いているようです。

横山裕さんがそんな壮絶な生い立ちだったとは驚きです。
横山裕が就職したのは松村建設工業!
横山裕さんは家計の負担を減らすため、中学卒業後はすぐに建設会社に就職しました。
その建設会社は、『松村建設工業』と言われています。

「SUPER EIGHT」横山裕が、MBSテレビ「ごぶごぶ」に出演。過去の職場を紹介する一幕があった。
横山は突然「そこに商店街があるんですけど」と紹介しながら、その横にある建設会社を指さし「そこに勤めていたんです」と告白した。
引用:スポニチ
横山裕さんの出身地である大阪・此花区を散策する番組内で、
此花区にある「松村建設工業」で働いた経験を明かしています。
メンバーの村上信五さんが過去に『大阪では結構ええトコですよ』と語っており、
横山裕さんが真面目に働いていた様子が感じ取れます。
松村建設工業でのエピソード

松村建設工業では1年ほど務めていたとのこと。
工事現場で壁を貼ったり、足場を組んだり、資材を運搬するなど、
肉体労働をしていたそうです。
「テレビ局までニッカポッカで行って、めっちゃ怒られたことあります。“あんた、夢売る仕事やねんから、その格好で来たらあかん”って」
引用:スポニチ
当時事務所のレッスンにも通っていたため作業服のまま向かい、
トイレで私服に着替えるなど、
普通の高校生とはまた違った苦労人のエピソードが多く存在します。
のちに芸能活動に集中するため、この会社を辞めることになりますが、

あかんようになったら、いつでも戻っておいでや
と優しい言葉をかけてもらったそうです!

横山裕さんが無事にデビューして活躍する姿に
社長さんも喜んでいるでしょうね!
まとめ
横山裕さんが働いていた建設会社についてまとめました。
・中学卒業後に「松村建設工業」に就職
・仕事とジャニーズJr.を両立
・1年程で芸能活動に集中するため退職
・職場では良好な関係を築いていた
ということが分かりました。
幼い頃から複雑な家庭環境で苦労してきた横山裕さん。
愛情深い性格と、忍耐強い真面目な性格であることが分かりました。
今後の活躍にも期待しています!
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